2021年1月20日水曜日

時には昔の話を 3

始祖「ところがあやつめ、二つ返事で断りやがった 『お断りします』と」
執事「ご存じのように、私は両親を亡くしていきなり社会に放り出されました 人の欲深さや醜さ、酷薄さを否応なしに見せつけられました」 
執事「でも、人間をやめたいと思ったことは一度だってありません まだそこまで人間に絶望はしてませんので」
執事「たぶん、生まれついてのヴァンパイアのあなたにはわかっていただけないでしょうね」
始祖「わからん 俺は馬鹿なのか」
執事「だからおわかりいただけないだろうと申しました」
人間として生まれ、もがき苦しみ、人間として短い生を終える――それが自分の矜持と語る男に言うべき言葉が見つかるはずもなかった
始祖「少ししゃべりすぎたかな 若いおまえにはこんな爺の昔話なんぞ退屈だったろう」
お嬢様「いえ、そんなことはありませんわ おじさまがこんな楽しそうにお話しされるなんて初めてですもの」
お嬢様「よっぽどそのパスカルという執事さんをお気に召していらしたのね」
始祖「……」
お嬢様「それからどうなりましたの?」
始祖「この館に来て19年目の冬」
始祖「真っ赤な血を吐いて逝った まだ35だった」
お嬢様「………」
始祖「…だから、あいつの話はこれでおしまいだ」
――俺はお嬢に嘘をついた 
パスカルの話にはまだ続きがある 
だが、それは誰にも話すつもりはない
三男「始祖様、お夜食をお持ちしました」
始祖「ん? いい匂いだな」
三男「血清フルーツパイです お嬢様から、始祖様の好物だとお聞きしましたので」
始祖「お嬢に?」
…懐かしい、パスカルの味だ
始祖「おまえ、このパイのレシピを知っていたのか?」
三男「この間、図書室の大掃除をした際、『なっちゃんの血清フルーツれしぴ』という古い本を見つけまして」
三男「見よう見まねで作ってみました お口に合いましたか?」
始祖「…まあな、まずくはなかった」
始祖「また焼いたら食ってやらんこともない(意訳:おいしかったからまた作ってね)」
三男「かしこまりました(…めんどくさいお方だ)」


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